放送大学で心理学を学ぶ

放送大学での新たな学びを通して自分と向き合いたい

おもしろい、実験

放送大学では、勉強の仕方は個々人でさまざまですが、講義は面接授業以外は基本的には媒体を使ったものです。その他の活動として、ゼミやサークル活動、または、イベントや公開授業などさまざまです。

まだ心理学という分野を勉強しはじめたばかりの私でも、どうやら、心理学を学ぶということは、ただ単に、教科書を読んだり、テレビやラジオを聞いているだけではだめなんだと、うすうす感じはじめてはいました。

そこで、ある活動に参加することにしました。

その活動の中では、いつもおもしろい発見をします。(まだ、2回目ですが)

今回も、とてもユニークな実験をしました。その中で、私は偶然、自分のやっていくことが、ちょうど、

プロファイリング

ということにとても近いものなんだ、と気づきました。

 

その人になりきる

実験の詳細は、省きますが、あらかじめ、参加者はある決められたルールで、あるものを作ります。参加者はランダムにペアを組み、お互いにそのつくったものを交換します。

作られたものは、とても抽象的なもので、あるものを見たままというより、その印象を具現化するようにしてあります。(材料は、とっても簡単なもの、たとえば、紙粘土で形が作られていたり、クレヨンで絵が描かれていたり、とか)

で、実際にその人が作ったものを、当てるわけですが、そこには、もう一つ行動が加わります。

描かれた(作られた)ものが、どこにあるのか、ちょうど4カ所なんですが、その場所にいって、探して、また戻ってきて、ペアの方にその自分の予想したものを言って、あっているかどうか、答え合わせをする、というもの。

 

制限時間の中で、まったく想像もつかない中、限られた場所をみな、うろうろしたわけですが、だいたい、作られたものはもう、なんだかさっぱりわからない。

紙粘土を適当にこねて、なんか形になっているけど、いったいなんだろうと、本当に途方にくれてしまいました。

あちこち、ばらばらになっているわけですから、そのものの間には、移動手段が描かれています。

階段であったり、エレベータであったり。

そこで、ふと私は、ペアとなった方(その作品を作った方)を思い浮かべていました。

私とその方は、その日初対面です。お互い、少し会話を交わしており、しかも、この活動の少し前の時間にお会いしていて、なにを職業にしている方かもきいていました。

私は、いつのまにか、その方の服装やはいている靴、もっている荷物や、果ては、体つきとか、それらを思い浮かべ、そして、その人の思考を想像していました。

結局、一番最後に集合場所に戻り、みなさんに、迷子になったんじゃないかと、何だかんだ言われ、しかも、正解とはならなかったのですが、私的には、心理学を実感できた貴重な体験となりました。

 

犯罪と心理学

ちょうど、心理学概論の第6回目、犯罪についての心理学 に進んだところだったのでその中の、プロファイリングというものはどういうものなんだろう、と興味をもっていたときだったから、余計にそう感じたのかもしれません。

ここで、犯罪心理学とはなにか、という部分を引用すると、

犯罪心理学とは、「犯罪という現象に関するさまざまな問題について心理学的な方法論を用いて研究し、そこで得られた法則を司法や行政に生かしていく分野」であり、他の心理学分野と同様に、データに基づいた実証的な研究によって、犯罪にまつわる問題を究明、解決することを旨としている。

この犯罪心理学的が扱う領域として、テキストにはいくつかあげられています。

その中の捜査心理学の中で、代表的な研究の一つとして、プロファイリングがあげられています。

このプロファイリングに関しては、放送大学の主任講師からインタビューを受けて、授業内容を講義された、越智啓太先生の著書に詳しく書かれているようなので、さっそく、図書館で借りてきました。(★)

なので、私もまだ、テキスト上での知識のみなんですが、それでも、いまや、映画やテレビドラマでも(とくに事件捜査を扱う海外の映画やドラマで取り上げられます)見かけるし、プロファイリングという言葉は使ってなくても、いまや犯罪捜査にはかかせない手法となっているような気がします。

大切なのは、大変地味なことだけど、こつこつと、客観的なデータを収集すること、過去の事例と照らし合わせること、などなど。

ときには、ある超能力を持ち合わせた方のちからを借りて、とか、いろいろありますね。私もそういうものを否定するわけではないけれど、大方は、地道な捜査活動が主流となっているかと思います。

このプロファイリングがどういうものか、あらためて、参考文献を読んだり、そして、ドラマや映画の中でどんなふうに利用されているのかを、知りたいと思います。

越智啓太先生の著作

(★)犯罪捜査の心理学 プロファイリングで犯人に迫る(Dojin選書)

   犯罪捜査の心理学 凶悪犯の心理と行動に迫る プロファイリングの最先端

                          (新曜社

プロファイリングが取り入れられた映画として、羊たちの沈黙 が最初だったそうです。過去何回か観てますが、あらためてその点からもまた観てみたいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教育学入門--公教育制度について

教育学入門の講義を聴き始めて、はや5回目の講義となりました。

教育学を学ぶとは、どういうことなんだろうと、ここまで聴き続けてきましたが、この5回目の、公教育制度に関する講義は、ちょっと考えさせられました。

ここまでは、教育についての基本的な知識と技術が述べられており、また、そこからさまざまなテーマに沿って、展開されているのですが、この6回目の講義では、公教育制度のゆらぎを取り上げています。

 

公教育とは、テキストによると、

重要な社会機能を担い、公共に開かれ、公共に提供される教育

と、記載されています。義務教育はその中心とされています。このなかには、日本では私立学校における教育も含まれるようです。

私がなるほどなあ、と思ったのは、この公教育が今日、ゆらいできているということ。

テキスト中で、あるいは講義中でも詳しく、それらの言葉の定義や、公教育のありかたについて述べられていますが、いま実際に不登校の問題、あるいは、今の学校制度に疑問を投げかけるようなことが起きていることが、必ずしも、(その不登校などが) まったく今日的な問題ではなく、すでに、それらについてもっと前から、この公教育のあり方について、疑問を呈する流れが出ていたということ。

 

不登校というと、不登校である子供に問題があるとして、なんとかして学校に行かせることだけが取り上げれがちです。でも、そもそも、その制度自体に問題がでてきているとしたら。

そもそもの学校の役割ってなに?

というところに行き着きます。テキストでも、社会と個人との関係について、とか、かつての公教育のあり方から、現代社会に求められる教育の役割など、とても多岐にわたって述べられています。

しかし、いま、学校に行きたくない子供たちが増えているということであれば、それは個人の問題というより、学校という制度の問題であるということが、なんかすっぼり抜けているような気がしました。

そして、この問題の難しさは、では、今の教育制度の代わりに、どんなことができるのか、ということでしょうね。

テキストの中では、たとえば、その一つの方法として、ホームスクーリングなどがあげられています。

学校へ通うこと。

このことは、子供たちの権利であるといいます。かつて、貧しさから教育をうけられなかった人たちがそれこそ数えきれないほどいたでしょう。

けれど、現代の社会の学校の役割、あるいは教育について考えると、学校を絶対的なものと決めつけることは、いかがなものかと。

そろそろ、本当に学校制度についてもっと真剣に議論すべきなのではないかなあ、と思わざるえません。

 

 

 

 

 

 

久しぶりの伊吹山登山

いつの頃だったかは思い出せないのですが、子供の頃に伊吹山に登ったような記憶があります。

そのとき、この登山がかなりきつかったという、ぼんやりとした感想をずっともっていました。

で、今回、冬がくる前にぜひ、登っておこうと思い立ち、実行しました。

 

日帰りの予定で、早朝家を出発し、夕方8時前には帰宅できました。

でも、想像しない事態に見舞われて、結構考えさせられる登山となりました。

 

登り始めて山頂まで

 交通は、名古屋駅までは、いつもの名鉄を利用、JR名古屋駅から、米原方面のJR快速で近江長岡駅へ着。近江長岡駅からは、登山口行きのバスにのって登山口へ。

 

バス停車所から登山口までは、歩いてほんの数分のところなので、そのあたりは便利です。(バスの本数が少ないので、時間は確認しなければなりません。)

 

お天気もよく、体調もよかったとは思いますが、1000メートルを超える山は、何十年ぶりということだったので、いま思えば、かなり緊張していたと思います。

 

地図を確認し、地図読みの練習をかねようとコンパスをもっていきましたが、 登山道はとても分かりやすくて、特に迷うことはないとは思います。

(それでも、私はなんと下山途中、2合目でとても広くて分かりやすいところで、下山道を間違えてしまいました。そこは山道でもなく、お寺があって、行き止まりになっているので、すぐ引き返しました。ちょっと恥ずかしかったです。)

 

地図も確認しながら、出発前に家でコースタイムをガイドブックをみながら予測していったので、実際はどれだけかかったかを、記録していきました。

山頂に向かうほどに、風が強くなり、かなり開けた道ですが、だんだん道幅がせまく、石もごろごろしているのが、多くなってきました。

5合目から、登りも急になってきて、ジグザグコースをひたすら登ります。

石の大きいのや、ごろごろしているので、緊張する場面もあります。このあたりでは、早く登ってしまいたいという焦りみたいなものが出てきて、ろくに休憩をとりませんでした。

(いま考えると、このことが下山の際のトラブルの原因になったのではないか、と思うところです。)

 

結構長い登りですが、とにかく景色はすばらしく、時々振り返っては、深呼吸と、景色を眺めて感嘆していました。

時期的には、登山には絶好の日だったので、登山する方々も多く、家族連れも多かったし、若い方たちなど、楽しそうにのぼっているんですが、なかにはもちろん、黙々と登ってみえる方々もみえます。私は後ろから足音が近づいてくると、焦ってしまったり、邪魔にならないだろうかと、つい、止まって譲ってしまいます。このあたりが、人気のある山だと、ちょっとめんどうな部分かもしれません。人が多いということは、道迷いする可能性は低いけど、気を使ってしまうことが、どうもなあ、と。

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ススキがとってもきれいでした。

 

頂上から、下山へ

山頂にたどり着き、その風のつよさにびっくり。あわてて、防寒がわりにレインウェアの上着を羽織って、体を冷やさないようにしました。そしてちょっとぐるっと回って、景色を観ることにしたんですが、とにかく、風がつよい。

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風が強かったです。

 

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 頂上です。

 

とにかく、風を遮る場所もないし、用意したおにぎりを、あわてて食べて、早々に下山することにしました。

下山は登ってきた道をまた、戻るということで、結構きつい登りだっただけに、下りにはまた緊張の連続でした。

しばらく、そのような下りがつづいたあと、あとにきた若い男の人たちに先を譲って、自分もそのあとをつづいて歩き始めたとき、なにげなく、しりもちをついてしまったのです。そんなにべたっとしりもちをついたわけではなかったのですが、あっと思って、立ち上がろうとしたとき、太股あたりが、びーんと張ってしまったのです。

そう、脚がつってしまったのです。

なんとか立ち上がることはできたんですが、こわばってしまい、動かすといたくて、ちょっと脇によって、屈伸などをしたんですが、いたくて。

それと同時に、恐怖心がちょっともたげてきました。

このまま歩けなくなったら、どうしよう。

けど、すぐにそんな心を打ち消し、大丈夫と言い聞かせ、少し休憩。

あとからきた、小さい男の子をつれたお母さんから、大丈夫ですかと、声をかけられました。なんか、とてもうれしくて、勇気をもらえたような。

少し痛みが納まった頃合いを見計らって、そろそろと動き出しました。

まだ痛いんですが、とにかく、痛みの周期みたいなものを考えながら、あと、持ち上げると痛みがくるので、あまり持ち上げないように、下りはじめました。

でも、今度は、脚が重くなり、ふらついたり。

だましだまし、5合目まではゆっくりと下っていくことができました。

反省と、今後のために

その後は、痛みも収まり、5合目で休憩後、ゆっくりと順調に下っていくことができました。気がついたら、水分を本当に摂取していなくて、この脚の不調のあとは、こまめにとるようにして、3合目での自販機では、アクエリアスを買って飲みました。

時間はほぼ、コースタイム通りでした。でも、登りは、コースタイムよりも早く目的ポイントに到達していたので、このあたりで、無理をしていたのかなあ、と反省材料にもなりました。

ガイドブックのコースタイムは、休憩時間をいれていないわけですから、単独で登山するときは、こういう、休憩をいつ、どれくらいとるか、そして、全体の予定をきちんと守ることが、絶対必要だと、身をもって経験させられました。

道迷いとか、装備とか、そういうことも大切だけど、自分の体のこと、特に水分補給や休憩のとり方の大切さなど、本当に勉強になった登山となりました。

3時には下山したのですが、バスは4時5分なので、バス停で座ってもってきた文庫本をよんで休むことにしました。駅までは4㎞くらいで、1時間くらいで歩けるかなとも思ったんですが、また無理をして脚がつってしまってはいけない、と思ったからです。

 

JR近江長岡駅では、電車を待ちながら、久しぶりの伊吹山の懐で良い勉強をさせてもらったことを感謝しました。自分の体とよく向き合って、また、いつか、来させていただくことを胸に家路につきました。

実行することで、課題を見つけて、またそこから、計画をして、実行すること。

どんなことでも、当てはまることだと思います。

うまくいくかどうかはやってみないとわからない。だからこそ、行動とその反省というサイクルは、ぜひいろんなことにも応用したいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

普通ってなんだろう

母が認知症と診断されて、早一年半が過ぎようとしています。

診断されてから、今日まで振り返ってみると、認知症と診断された本人よりも、家族である私たちの心が劇的に変化していったように思います。

よく、重大な病気などを告げられたときにその本人がたどる、思考経過として、

その現実を受け入れられず、しばらく、まずは呆然自失となり、やがて悲しみから怒りになり、徐々にそれらを受け入れる状態になっていく。

という事がいわれています。

母の場合、おそらく、多分数年単位で、すこしづつ、母自身がなにか変だと思っていたようですが、その変化は本当にゆっくりで、同居していた弟も、たまにみせる、奇行(あとから弟に聞いて、そんなこともあったのかとびっくりさせられたことなど)も加齢のせいだと思っていたくらいです。

本人は、すでに認知症という言葉さえ理解できないと思いますが、私たち子供の立場からすれば、母親が認知症であると告げられたときのショックは、かなりのものでした。

そのショックは、想像以上に深く、私の心に広がり、そして、いま考えると、これをきっかけに、さまざまな行動に結びついていきました。

この診断をうけた後、私が、絶望してはいられないと、がむしゃらに動き回り、そして情報を集め、去年診断をうけたときには、絶望的だった(いくつか見学したのですが、ものすごく嫌がりました)デイサービスについても、今年の6月から、母にとって利用しやすい事業所がみつかり、通所を始めて半年近くになろうとしていることが、なにか夢のようです。

そしてなにより、私自身が、このブログのテーマである、放送大学の門をたたき、また、母の病のことから、より私自身を振り返るきっかけとなったことがとても不思議な気がします。

そんなこんなで、デイサービスも奇跡的に週一回行くようになったんですが、問題はお風呂にはいらないこと。

母にとって、すでに自宅のお風呂に入るためのお湯の張り方などもわからなくなっているので、一人では無理。デイでもお風呂ははいれるんですが、職員の方が毎回誘ってくださるんだけど、拒否しつづけているようです。

同居しているわけではないので、毎晩、私がついているわけにもいかず、はて、どうしようかなと思っていたのですが、ちょうどデイが終わるころに、母を近くのお風呂屋さんに連れて行き、私も一緒に入って、体を洗ってあげようと、思い立ちました。そこで、夕食も済ませれば一石二鳥だし。

弟は、やはり、ずっとお風呂にはいらないお母さんには、ちょっと困ったという感じだったので(このあたりは異性の親の面倒が大変なところです)下着の管理や、着替えも手伝える、同性の私が一番やりやすいから、さっそくこのデイが始まると同時に、このお風呂通いが始まりました。

お風呂にはいらないといっても、お風呂自体が嫌いになったわけではないんです。

もともと、ものすごくきれい好きな母で、家の中はいまでもきれいに片づいているんですが、自分のことになると、面倒になってくることと、やはり手順がわからなくなるんですね。

だから、一緒に私がお風呂にはいるとなると、さっさと自分も服を脱いで、さっさと入ります。もちろん、この間、私はすべて2人分の着替えを用意し、タオルもすべて用意するわけで、女性風呂のロッカー室で、常に声をかけつつ、どっかへいかないかと、神経を尖らせながら、私も素早く服を脱いで、タオルをもたせ、入ります。

ただ、母の行動は時に、周りには奇異にみえることがやはりあると思います。

このお風呂屋さんは、昔からあるところで、常連さんのような方々がきているようで、中には、すでに自分が使うロッカーの場所まできまっているような方もみえます。

そういう方々から、なんか親が妙な行動をとるなあと、思われていることもあると思います。(同じことを繰り返し話している、服の脱ぎ方や、着方をいちいち教えている、とにかく、たえず声をかけている、などなど)

実際、口に出して、指摘されたこともありました。別にその方に母がなにかを言ったとか、そういうわけではないんですが、(母に向かって)おかしいひとね、みたいな言い方をされました。(それは、母が靴下を履く際に、つい床に座って履いたいたところ、髪の毛が床にたくさん落ちていたところだったので、そんなところに座って履くなんてみたいな言い方でした)

母はもちろん、そんな言葉を笑いながら投げかけたその人を、完全に無視していましたが、私は、とても腹が立ってしまいました。が、そこは冷静に、髪の毛が落ちているからあとから係の方にいっておきます、とかなんとか、いって、そそくさと身支度をし、母を促して、その場をあとにしました。(私はかなりの近視なので、眼鏡がないと、床に髪の毛がたくさん落ちているかどうか、見えなかったのがくやしいですが)

最近、新聞の投書欄でも、たとえば、身体の障害がある人を、笑ったり、または、どなったりして、威嚇するなどを行う人たちが存在することを指摘するものがあり、信じられない、と思っていましたが、実際自分自身ではないにしろ、身内がその対象になるという経験をすると、心が冷えるような思いをするものだと、考えさせられました。

私たちは、当たり前にできることには、その当たり前が絶対であり、それができない人たちは、除外すべきものだとか、排除するべきだと、どこから思ってしまうのだろう。

当たり前、普通ってなんだろうって。

でも、母が、この認知症ではなかった場合、やはり、このような場面では、眉をしかめていたかもしれない。

このあたりは、とても冷静に考えると、私が学び始めた心理学の中での研究したいテーマがみつかるかもしれない。

自分の経験が、一つなにかを生み出すきっかけになると信じることで、こんなことも目を背けず、課題として、これからも考えていきたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

面接授業、当たりました!

今日、初めて面接授業の空席の抽選にいってみました。

朝9時半から10時までに学習センターで受け付けをして、そのあと、抽選。(来た順でくじをひくので、早く来たから、抽選に有利、というわけではない)

私は、9時少し過ぎに着いたんだけど、すでに、受け付けの近くに10人以上はいらっしゃって、びっくり。

で、まず、9時半に、来た順に名前を書いて、申請用紙をもらいます。

そして、10時までしばらく待ちます。

10時になったら、名前を書いた順に、その名前をよんでもらい、くじを引いていきます。

私の番まで、まだ1番がでてませんでした。

面接授業は、なかなか希望のものは当たらない、とオープンキャンパスのとき、そして最近参加したサークルでもいわれていたので、とにかく経験だと思ってきたので・・・。

そして、なんと、私が引いたのは、

1番!

どっひゃー!!

とにかく、信じられない気持ちで、すぐに受け付けにいき、手続きを済ませました。

ちょっと、遅くなったので、あわてて会社に向かいましたが、その間、胸がどきどきして、そして思ったんです。

これは絶対、神様のおかげだーと。

実は昨日、来年の祈願をしに熱田神宮にいってきたんです。これは、去年から始めたもので、10月中までに、来年の祈願をするといい、ということで、去年はいろーんなことがあって、吐き出すように、便箋に書いて、10月にやはり熱田神宮にいき、必死にお祈りしました。

今年も、去年の祈願したものを見直し、もうちょっと、自分のことで祈願してみようと、書き直し、そして19日に熱田さんへ。

一生懸命、祈願し、おみくじをひいたら、

大吉!

もちろん、祈願の中にも、放送大学のことも書きました。

そして、今日。

もちろん、これはあくまでスタートです。

なんか、仕事のことで、昨日はすこし考えることがあって、でも、放送大学での勉強(心理に関すること)をしていると、そんなこと、吹っ飛んじゃうんですね。

感謝の心を忘れずに精進しましょう。

 

 

 

学内システムについて

いよいよ、授業が始まり、放送を視聴しつつ、まだまだ準備不足だと感じることが多々あります。

私は、行動が先走って、あとから細かいことを決めていくという、無鉄砲なやり方でいろんなことをやってきたわけで、ここにきてきちんと自分の目標や、履修する科目について、具体的には、何年で卒業して、そこからどうしたいのか、をある程度決める必要がある、と気がつきました。

教科書とともに、送っていただいた、学生生活のしおりをあらためてしっかり読み、ここにいろいろ書いてあるんじゃないかと、目からうろこです。

つまり、実際に学習をすすめると、さまざまな課題が頭に浮かぶんですね。

入学する前から、こんなことは全く予想できなかったわけで、問題意識は行動することによって顕著化するわけです。(つまりは、焦ってきたということ)

まずは、学内システムを理解すること。

学生になると、(登録されると)放送大学の認証システムから、ログインして、その中で役割の異なる、三つのシステムを利用することができます。

  • キャンパスネットワークホームページ
  • システムWAKABA(教務情報システム)
  • 学生Gメール

このなかで、キャンパスネットワークはすぐでてくるんだけど、システムWAKABAは気がつかなかった。(下のほうに、でてます)

システムWAKABAでは、学生のカルテや科目登録、成績のことや、さまざまな変更異動手続きをチェックできます。

 

いまは、10月半ばで、11月半ばには通信指導提出があります。そして年明けには単位認定試験、そしてつぎの科目申請があります。

まずは、さまざまなオンライン上のシステムに慣れることと、手続き関係でもれがないように、目配りしていかなくちゃ。

面接授業は、今回申請していなくて (この申請についてもわかりにくくて、パスしていました) ついこの間、空席状況が発表されました。

とりあえず、興味がある授業を、空席申し込みしてくるつもりです。

愛知学習センターでは、決められた時間に行って、申し込むようですが、抽選なので、当たるかどうかわかりません。

まずは、経験ということで、出勤を少し遅らせて、申し込みに行ってきます。(今週の金曜日)

 

 

 

 

 

学生証が届きました。

念願の学生証が届きました。

そして、キャンパスネットワークにも、ログオンすると、私の名前が表示されるようになり、いよいよだなーと、気が引き締まる思いです。

今回、選択した科目は4つ。そのうちの3つはラジオで、残りの一つがテレビで視聴して学びます。

どちらも、キャンパスネットワークにログインして、資料室というところから、いつでも視聴できます。これは大変便利です。

でも、録音できるわけではないので、私の場合、ラジコプレミアムをパソコンから録音できる、ラジクール(radikool )という無料のアプリを使って、予約録音して、それをボイスレコーダーに録音して、聴くという方法をとります。

というのも、3つのラジオ教材のうち、2つはこのラジクールで、興味本位で録音してあって、すでにボイスレコーダーにあるんです。

いつでもできる、ということは、反面、自分がどこまでやったかわからなくなるんだと、すでに一回目の時点で気がつきました。

印刷教材とともに、テレビ、ラジオを視聴しつつ、さっそく受講開始です。