放送大学で心理学を学ぶ

放送大学での新たな学びを通して自分と向き合いたい

コミットメントとデタッチメント

"村上春樹河合隼雄に会いにいく"  を読了。

もう、何年も前の本ですが、ずっと気になっていたのに、なぜか手にとることをためらっていた本をやっと読むことができました。

このなかで、さまざまな話題が取り上げられていますが、当時は、阪神大震災オウム真理教、そして湾岸戦争など、いま考えてみても、大変な出来事があった時期で、このことも含めて、村上春樹さんご自身の仕事のことや、河合隼雄先生の夫婦に関することや、その他の興味深い話など、いま読んでも、新鮮で、収穫が多いものです。

特に、村上さんが、ご自身の作品への取り組みのなかで、あるいは、当時アメリカにお住まいであったことから、コミットメントとデタッチメントについて言及されていたことをきっかけに、私自身の最近の人との関わりで気がついたことを考えてみました。

私は、よくよく考えてみると、人と人との関わりについて、比較的デタッチメント、つまり、あまり関わりをもたないほうがよいかな、という姿勢でした。

でも、モノに興味を持つより、やはり人に対する興味はあり、どうしてなのかな、と最近考えていました。

たとえば、人間関係において、最初は相手のことを探りつつ、もし、自分と合いそうな人だなあ、という感覚を得ることで、ちょっとランチなどに誘ってみようか、とか、そのへんの駆け引きなどが楽しいと思えるようになったこと。

かつては、それらのことは、自覚することはなかったのですが、最近、自分の楽しいと思えることをもっと意識するようにしたことから、気がついたことなんですね。

だれかが、こういうことが楽しいとか、(おいしいものを食べること、なにかを集めることとか、どこかへいくこととか・・)などの情報を集めても、自分にはそうは思えないことがあって、果たして自分の楽しいこととはなんだろう、と。

いま、心理学に興味をもって、関連する本を読んだり、放送大学からテレビ放送やラジオを聞いていると(まだ、学生ではないので、まったく勝手気ままに視聴してます)、私自身をみつめる機会が増え、また、今回の本の中のデタッチメントとコミットメントという言葉にふれたとき、これかなー、という思いがふくらんできました。

それに加えて、人間関係にちょっと踏み込んでみようかと思えるようになったきっかけは、おそらく、ここ最近続けている、朝夜の瞑想があるのではないかと。

朝起きてから、神様へ手を合わせて、そのあと(朝食前です)、約20分間の瞑想、夜は寝る前の約20分の瞑想。

はじめた当初は、10分間でしたが、いまは、その倍にして20分間にしています。

最初は、どのような心持ちでやったらいいのかな、と探りながら、でしたが、特にこうしなければならない、と決めることなく、自由にやってます。

そこでは、さまざまなことを考えてしまったり、足がしびれたり(あぐらなんですが)、いろいろありますが、最近、この瞑想をしていたからかどうかわからないんですが、ふと、このような瞑想をしている、自分をみつめる、という第三者の私、を意識するようになりました。

座っている私を、眺めている私がいる、という意識を、ごく普通の生活の中でも意識すると、ちょっと冷静になるというか、不思議な感じです。

そこで、コミットメントとデタッチメントというバランスです。

この本では、西洋と、あるいは同じアジア圏でも、韓国と中国における、コミットメントとデタッチメントは、日本のそれと、異なることもふれてます。

なにに、コミットするか、(関わるか)、なにからデタッチするか(関わらない)・・

このことを意識することで、自分のことが少しみえてくるかもしれません。