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放送大学で心理学を学ぶ

放送大学での新たな学びを通して自分と向き合いたい

試験勉強はなかなか大変です。

いよいよ、来週末が初めての単位認定試験です。

 

もう、ずっと休みの間は印刷教材を読んでいます。

ただ、黙読しているとぼーっとしてきてなにを読んでるのかわからなくなってしまうので、音読しつつ、内容を自分の言葉で置き換えながら、すこしづつ進んでいるので、結構全部読み通すのは時間がかかりました。

一応、一通り読み終え、過去問を解きつつ、ざっくりと頭にはいったかなあ、という段階です。とにかく、用語の定義がとても難解です。あまりにわからないので、私は、アホになってしまったんではないかと、ちょっと悲しくなりました。

しかし、です。あまりに用語の意味がわからなくて(普通の国語辞典とか、電子辞書とかひいてもわからない) ネットで検索してみました。

結果として、もっとはやくネット検索しておけばよかった、と思うくらい、具体的な説明もあるし、なんか、印刷教材の難解さは、本当に難しいんだとちょっとほっとしたくらいです。

しかし、この難解さを必死になって理解しようとしながら、繰り返し読み返したりするうちに、それらの言葉がからだに入ってくるような感覚を覚えることがあります。

なんとなく、に名前をつける

勉強とか、仕事とか、ある程度強制的に、自分としてはやりたくないけど、やらないかん、と思って、必死にかじりつき、そして、それが終わったとき、ものすごーく開放された気分になって、ただひたすら寝る、とか、なにか、ただひたすら、映画をみるとか、何時間もぼーっとする、とか、そんなことあると思います。

私もすごくそういう部分があって、集中はできるんだけど、どこかでより戻しみたいなものに襲われることがあります。

今回、教育学入門の中で、そのような衝動みたいなものには、ちゃんと名前がついていることがわかって、なんかとても賦におちたことがありました。

それは、有用性の原理から自由になること、です。

有用性の原理とはなにか。

なにかのため、になにかをおこなうこと、だそうですが、印刷教材では、子どもが大人に要求される行動は、こどもの意志を優先せず、むしろ、子どもが社会化していくこと、あるいは発達に必要だからという理由で要求されるもので、大人が決めているもの。

もちろん、大部分の子どもは大人にしたがって、そのなにかのために自分の意志を弱めたり、なくしていくことになるのだそうです。

けれど、そこで、子どもは、自分の中の生きる力を取り戻すために、無意識のうちに、無用で無意味な行動に走る場合が多々あると。

でもこれは、子どもだけでなく、大人にも十分に当てはまることだと思います。

このことを、なんとなく知ってはいたけど、こんなふうにきちんと定義があったんだと知ると、あらためて、大切な行為であったんだと、うれしくなってしまいます。

やはり、どんな行動にも理由があって、しかも、一見無駄に思える行動がじつは、生き生き生きていくための大切な行動だったなんて、つくづく人間のこころの仕組みの奥深さと不思議さを感じます。

遊びが必要というのも、ここでわかります。そして、反面、子どもが大人たちのいうことにひたすら、反抗もせず、従うということが、どういうことをもたらすか。

このことひとつとっても、大変な問題ですね。

大人であっても、自分のこころを置き去りにした生活をすることが、どういう結果をもたらすか、あらためて、考えてみる必要がありそうです。

後一週間、そしてその後の一週間後と、試験勉強は疲れますが、それは心地よい疲労感です。