放送大学で心理学を学ぶ

放送大学での新たな学びを通して自分と向き合いたい

役に立つという生き方

昨日は、放送大学の愛知学習センター開設25周年記念 公開講演会にいってきました。

テーマは、「社会人のためのキャリア形成」講師は、三宅章介さんです。

 

あらかじめ、手元にあった講演のパンフレットには、

・・・。今回の講演では、このような(上記略)キャリアという語をどのように考えればよいのか、またそれをどのように形成していけばよいのかを、以下の内容に従って、皆さんと共に考えてみたい。(以下略)

 とありました。

講演会では、実際にレジュメと、講師の論文がセットになって参加者に配られました。

ぎっしりと書かれた内容は、この講演時間では収まり切れないほどのものであり、実際とても聞き応えのあるものでした。

この公開講演会は、これから放送大学で勉強することを検討している方を中心に設定されているのではないかなと(実際、去年は私も検討する立場で参加したので)おもいますが、今回は、おそらく在学生のほうが多かったのではないかという印象ももちました(でも、私は参加者の内訳を知りませんので、あくまでも感想です)。

 

「キャリア」という言葉に、なにか、たとえば、年齢を重ねたあとに、より違った「キャリア」を積んでいくにはどうすればいいか、という内容かな、と思って集まった方々(私を含む)が多いのではないかと。

 

お話は本当に多岐にわたったわけですが、あくまで私自身のつぼにはまったところを備忘録として、記しておきたいです。

 

私たち日本人が考える職業観と、欧米人がもつ職業観は大きく異なること。ここで講師は、宗教と職業、そして個人主義がどういう経緯で生まれたのか、それがいかに日本の職業観、たとえば、天職という言葉があるが、これはベルーフ(ドイツ語:Beruf)とはどう違うのか。

この論文(産業教育学研究 第46巻第2号 2016年7月)には、細かくそれらの経緯が述べられています。

論文のキーワードとして、ベルーフ(ドイツ語:Beruf)、召命、カルヴィニズム、禁欲的精神、天職(観)、職業(観)、職分、とあります。(これをみただけで、大変な内容だとわかります。じっくり読まないと・・・)

 

で、とてもとても、専門外の私には理解するには時間がかかるものであり、私の感想として(原文をきちんと理解していないわけで、誤解を生むおそれがあるので)述べることができることは、まず、個人主義に関して最近読んだ本とリンクしたこと。

  • 集団主義」という錯覚-日本人論の思い違いとその由来(高野陽太郎著)、
  • 読書力をつける(阿部謹也著)そして、
  • 自分のなかに歴史をよむ(阿部謹也著)(これは少し前に読みました)

本当にびっくりしたというのが正直なところです。

個人主義と職業。そして職業と宗教観。

欧米人の宗教観(とくに聖書を中心にした考え方)と日本人の職業観、とくに天職についての考え方(ここで、講師は井原西鶴の好色一代女を引用されています。)との違い。

ここに、言葉一つ一つに、大変な意味深さと、歴史の重みを感じます。

まとまらないですが、あえて、まとめません。まとめられません。

が、もう一つ、とてもなるほどーとおもったことがありました。

 

それは、講演の最後に質問があったのです。

その主旨として、質問者が自分が積み上げてきた、経験(ここでキャリアといいたいところですが、この講演を聴いたあとは迂闊に使えない)を社会に還元したい。その社会のあり方についてはどうでしょうか、いうものでした。

 

質問者は、私自身がおもうに、おそらく、いままで培ってきた自分の職業的な経験を生かす場を求めていらっしゃるとおもいます。そのためにも放送大学に入学され、それをますます発揮することを期待されていると、推測します。

講師は、ここで、なにかの役に立つことが、その人の依って立つ第一のものでしょうか、と問いかけました。

 

ここで、私自身、はっとしたんです。

この講演の主旨が、つまり、キャリア形成とはいったいどういうことなのか、ということですね。

役に立つ生き方というのは、たしかにわかりやすいものです。

でも、それが果たして自分のもっとも大切な生き方にもってきていいのだろうか。

 

レジュメの中では、スーパー(Super, Donald E.,1980)の「ライフ・キャリア・レインボウ」、シャイン(Schein, Edgar H., 1990)の 「外面的キャリア」、「内面的キャリア」が紹介されています。

レジュメの中で、あらためてキャリアについて定義していますが、この外面的、内面的という二つのとらえかたから、以下レジュメからの引用ですが、

 キャリアを外面的にとらえると、他者との比較が可能となる。キャリアは自分のものだけという理解をすれば、キャリアは他者による比較不可能である(偏差値による教育がどういう弊害をもたらしたかをみればよく理解できるところである)。

ここで、教養ということばがでてきました。

昨今、教養というものが、大学教育の中で、いわゆる役に立たないものではないか、という風潮があり、別の学部に置き換わっているようです。

しかし、教養とはなにか。

これも難しいことなので、一言ではいえません。

が、レジュメを引用すると、

正に、人生を通じた将来の予知不可能なことに対応できる能力は、「教養」であり、「基礎力」である。「キャリアデザイン」という言葉があり、また、近年、このような学部名をもつ大学もあるが、キャリアは計画どうり進むことはまずない。個々人はもとより、社会は常にめまぐるしく変遷する。計画どおりに進めば、人生は全く面白くないものになってしまい、努力も無用になるのではないかと思う。人生は計画どうりに進まないから有意義であり、「生きる力」も付くのである。

その意味で、「キャリアデザイン」は、予知不可能な場面においても対応できる能力を養うということを考えると、つじつまが合う。それに対応する力が「教養力」や「人間力」である。

なるほどーと。

 

たぶん、去年の私には心からそうだ、そうなんだ!と思えなかったかもしれません。

が、いまこのお話や、このような考え方を聴くと、深く深く、心に染み渡ってきます。

 

そして、生きていくこととはどういうことなのか。を深く考えるきっかけにもなります。

 

だれかのために、役に立ちたい、社会のために私を生かしたい、これは本当にすばらしいことです。

実は、今日(2017年10月15日)の朝日新聞の読書の欄に、紹介されていた本(売れている本)

「ふたりから ひとり」ときをためる暮らし それから

つばた 英子、 つばた しゅういち(著)

 

が載っていました。この書評(最相葉月さん)の中で、この本の引用文をよんでまさに、昨日聴いた講演の内容が結びつきました。

「人にしてあげるとか、そんなエライことは考えない。いつもしゅうタンが言うように、人間として、最後まで自分の足で立っていきることが大事なんだと、私も思うの。」

来年90歳になる英子さんの言葉に、背筋がきりっとなる。

これが、人間力かなあと。

 

しかし、なかなか、私などなかなかその境地にいたりません。まだまだ、もがきながら、でも、勉強は楽しいよ!