放送大学で心理学を学ぶ

放送大学での新たな学びを通して自分と向き合いたい

人生フルーツみてきました。

映画「人生フルーツ」をみてきました。

 

 ( いま、人生フルーツのホームページみていたら、突然、「あなたのPCがウィルス感染しました。電話してください」という、警告がでて、びっくり。

画面操作ができないので、そばにあったタブレットで検索すると、似たような警告がやはりあちこちで出ているようで、対策として示されたものを試すと、この画面が消えました。

でも、さっき立ち上げると、Firefoxなんですが、また同じ警告が。再び、対策を試し、また立ち上げるとFirefoxのところで、この警告画面を含むタブを復活しますか、というものがでたので、キャンセルして、またFirefox立ち上げました。このブログをかいていてもとくに問題ないようなので、あの画面を消すことができたようですが、びっくりしますよね。

あわてて、電話してしまう人もいるようです。

私は最初のこの「にせ」警告のときに、ウィルスバスターでクイックスキャンをしてみたけど、ウィルスは検出されなかったので、これは単に、びっくりさせて、電話を掛けさせるものなんだと思って、ある程度冷静に対処できましたが、また、出てくるかもしれません。どこかで地雷を踏んでしまったんでしょうね。まったく )

 

で、「人生フルーツ」です。

副題のように、英語で、”Life is fruity” となっています。この、fruityという言葉は、辞書で引いてみると、果物に似た、果物の味、ワインが熟成していない、とか、風味に富んだ、など。あと、結構意味深なところもあります。

この「人生フルーツ」というタイトルは、いまひとつ、ぴんとこなかったんですね。

出演されている、津端夫妻が育てている果物、ということだけではないことはたしかですが。

私は、果物が熟成されていくほど、おいしくなるように、人生も時を重ね、年齢を重ねていくほど、味わい深くなっていくことかなー、と勝手に想像していました。

 

当日(今日です)ほぼ満席。私は上映一時間ほど前にいったのですが、前二列ぐらいしか空きがありませんでした。今日はレディースデイで、1100円で観ることができるからかもしれませんし、この上映が明日まで、ということも重なっていたのでしょうね。

 

見終わって・・・

 

深い感動で一杯でした。

映画の途中で、嗚咽してしまう時もありました。

津端夫妻のあり方、考え方、生き方、すべてにおいて、ここには愛があふれていると、思いました。

でも、日本が高度成長期から、バブルを経て、現在に至るまで、様々な経済発展があった裏で、失ってしまったことがどれだけあったことだろう、とも思いました。

家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない

ル・コルビジエ

住まいは、まさに、生きていくための基地であり、休息の場であり、エネルギーを回復し、明日への活力を養う場。

 

一人暮らしであっても、住まいはただ単に、食べて寝るだけの場所ではないはずです。

 

修一さんが、かつて高蔵寺ニュータウンで実現したかったこと。

住まいが、自然とともにあること。自然の中に、住まいがあって、そのなかに人間がいること。

いま、多くの人が都市部に集中し、便利さを享受したいと思っています。私ももちろん、便利がいいことは、とくに年をとることを考えると、大切な住処の選択肢です。

医療や、交通、買い物など、インフラ整備は生活に欠かせないものです。

ネット注文がどんどん伸びているのも致し方ないことかと思います。

私自身、集合住宅に住み、ネットの買い物もよくします。おそらく、この傾向はどんどん加速することでしょう。

でも、この映画を多くの人がみて、また、何度も再上映されるという事実は、私たちのどこかで、これでいいのだろうか、毎日の生活について、悩みや生きていくこと自体になにか価値があるのだろうか、となにか答えを求めている人たちがいる、ということを示しているような気がします。

 

これは、観たひと、一人一人の心に訴えかけるものが異なると思いますが、私は、すくなくとも、自分がいい加減ながら、市民菜園をこつこつやってきたことをとてもうれしく思えました。

この映画をみながら、菜園が恋しくなってしまいました。

津端夫妻のような立派な木があるわけでもなく、市民菜園ですから、いずれはお返ししなければなりませんが、もう、20年以上、へたくそながら、汗水たらして、雑草を抜き、できた野菜たちをその場でほう張るという贅沢も味わってきました。

じつは、なぜ、こんなに大変な畑仕事を好き好んでつづけているのか、自分でもよくわからなかったのです。毎年、更新時期には、年間使用料として5000円を農協に支払いに行くんですが、いつも、もうやめようかな、と思いつつ、また契約。

お隣の畑など、プロ顔負けのすばらしいものです。ときどき、苗や、種芋などいただくのですが、そんな方々に混じって、細々とやってきたのですが、最近ようやく、目覚めた感じです。

これは、やはり人生の中で、どうしても家族や自分自身のことで時間を割かれてしまうことがあって、手が回らなかったこともあったんだなあ、と思っています。

いまようやく、心にゆとりが生まれてきたんですよね。

じつは、この津端夫妻の本

ききがたり

ときをためる暮らし  つばた英子 つばたしゅういち

を、購入したんです。今日映画を観る前に。

で、この本の中に、

とにかく「見守る」

という、英子さんが語っている章があります。

このなかで

それで、芽が出てきたら、とにかく見てあげることね。子どもを育てるのと一緒てすよ。

という箇所があります。

ほんとうにその通りなんです。

じつは、私はずっと、畑仕事をするとき、ヘッドホンで音楽を聴いたり、ラジオを聴いて作業をしていました。

ある日、私の菜園のとなりに住んでいらっしゃって、ご自身も菜園をされている方が、ちょっと私に話かけられて、そのなかで、その方が

「私も昔は、CDとか聴きながら、(畑仕事を)やっていたこともあるわね。でも、やっぱり、野菜たちには声をかけるようなつもりで、愛情を注いであげると、野菜たちも応えてくれるものよ。」

と、おっしゃってくださったんですよね。

私、そのとき、はっとしたんです。ただ、もくもくと作業していることが退屈で、音楽やラジオを聴いていたんですが、退屈なんかじゃないんだと。

野菜たちは生きている。もちろん、犬や猫のようななにか反応がすぐに帰ってくるわけでもないけど、間違いなく、植物たちは、このいい加減な世話人に対して、どう思うだろうか、と。

だって、大きく育ったら、さっさと引きちぎったり、引っこ抜いたりしてしまうわけだから。

それ以来、私はながら作業はやめました。

今日、映画をみながら、つくづく、手間をかけることの大切さ。料理一つ、ひとに接するときも、そう。

 

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みょうがの花です。初めてみました。

 

「人生フルーツ」は、私たちが生きていく上でかかせない、個人の「住まい」「食べる」そして「働くこと(これはいろんなものを含みます)」と、他者との関わり(結局、私たちは一人ではいきていけません。最後はひと、です。)を、あらためて考えさせられる作品でした。

タマネギの苗の植えつけのシーズンで、雨が上がれば、タマネギを植えつけましょう。