放送大学で心理学を学ぶ

放送大学での新たな学びを通して自分と向き合いたい

今期の単位認定試験を終了(全体の単位認定試験は今日まで)

昨日で私が選択した科目の単位認定試験は終了。

終わったらゆっくりしたい!と思っていたものの、今朝からの猛暑で、たまっている作業(家庭菜園の草取りなど)はちょっとできる状態ではありませんので、自宅待機です。

 

今期私が選択した科目は以下の4つです:

錯覚の科学

心理臨床と身体の病

交通心理学

心理臨床の基礎

 

どれも、講義をうけ始めるととても面白く、なんか、科目名は地味な感じですが、(そんなもんですよね。教科書って) 一つ一つの科目の世界はたいへん奥深く、もちろん、基礎の基礎部分ではありますが、心理臨床などは、入学してはじめて学ぶ部分 (概論では少し触れられていましたが) だったので、ほんとうにおもしろかった。

なので、今回は放送授業での講義、一回一回が印象に残っていて、そんなにきりきりと勉強しなきゃ、というスタンスでなくてもよかったのが,卒業研究で忙しかった身には助かりました。

それぞれの科目を少し振り返ってみます。

 

錯覚の科学

なんといっても、錯覚ワールドを存分に楽しめる講義でした。

講義の合間には、錯覚シアターや、錯視をとりいれたアート、また名画などにとりいれられている、錯視を使った技法など、とにかく講義がたのしい。

それと同時に、錯覚がおこるメカニズムや、そもそも、錯覚と心理ってどうしてむすびつくの、という疑問にもこたえてくれるものです。

私たちは目でものをみている、あるいは耳でなにかの音を聴いている、と思っています。しかし、実際は、それらの器官を通じて、脳で見て、聴いているんだということを知りました。そして、それらは私たちがよりよく生きていくためのものである、つまり、適応していくために必要なことである、ということだそうです。

認知心理学を学んだことと、重なる部分もあり、そういう面で、基礎的な知識のベースがあったことも理解を深める要因となりました。そう考えると、認知心理学などは、心理学を学ぶとき、最初のころに科目選択をしておくといいかもしれません。

 

交通心理学

そのまま、ずばり、交通に関する心理学です。人々の移動はまさに古くからあるわけで、その手段はさまざまです。私たち一人一人が交通参加者といって、歩行者であり、あるいは自転車、自動車、二輪車、車椅子などもふくめ、対象はすべての移動ができる人が対象です。

最近、車を運転する機会が増えた私にとってはまさにぴったりの講義でした。

実は、私はいまの車を購入する前(ほぼ3年前)まで、マニュアル車を運転していました。(私の世代では、教習所ではマニュアル車が主流でした)

でも、現在はオートマティック車を運転しています。車購入の際のマニュアル車から、オートマチックにすることに関して、不安があったので(オートマチックは楽だよ、とは言われていたけど)、やはりだれかにきちんと教えてもらいたいと思い、最初は自動車教習所にたずねてみたんだけど、断られました。で、ネットで調べて、個人的にきちんと教えてくれるところを探し、来ていただいて、新しい車に、一緒に乗っていただいて、教えていただきました。

そのとき、私には、よくない癖がいくつかあって、それを指摘されました。

まったく自覚していなかったことで、私は、オートマチック車の操作を教えてもらうつもりが、じつは、ここで私自身の運転のフィードバックをもらえたこととなりました。

これは、講義にも含まれているんですが、職業ドライバーのように、定期的にフィードバックや講習などがない、一般ドライバーは、経験を積むことにより、自分の運転技術を過信する傾向があるそうで、だいたいは、自分は大丈夫と思い込むようです。

もちろん、初心者のころと経験を積んできたころと比較すると、その注意の質が変わってきて、経験者ならではのよいところもあるようですが、過信はだれにでもおこることです。

私はよい機会にフィードバックを受けることができて、とてもラッキーでした。

運転する人は、年齢にかかわらず、定期的に自分の運転を見直す機会を設けるべきではないかと思います。とくにいまはドライブレコーダーをつける車も多くなっているので、それを利用して、できれば指導できる方とともにその動画をみて、検証する機会は必要ですね。同乗する家族から指摘されると腹が立ったりするものも、第三者からの検証は、案外素直に認めるものですね。

あと、小学生や中学生、高校生の交通に対する教育はもっと、必要なんじゃないかと。

講義中では、そのような教育の場面がありましたが (研究目的でもありますが) 、学校にこのような機会を設けることはなかなか難しいようです。

ちゃんと教育を受けた子どもたちは、きちんとそれを身につけることで自分の身を守ることができます。交通事故は、子どもたちにとってとても身近な脅威です。大人がずっとついていることができないからこそ、交通マナーをふくめ、自分が自分の身を守るんだという自覚をふくめた教育は必要だと、講義を受けながら感じました。

 

心理臨床と身体の病

この科目も、心とからだが別々ではなく、相互に影響されるものであり、からだの病は、ただ治療するだけでなく、心の面でもサポートする必要があるということを学びました。そしてそこで働く心理士のみなさんの実務と経験を講義の中のインタビューや、その施設内での仕事されている様子など、また講義を担当された講師のみなさんのお話はとても印象的でした。

私が印象的だったのは、周産期の医療をめぐる心理臨床です。

お産は、日本ではごくあたりまえに、母子とも安全がほぼ保証された状態でおこなわれているんですが、じつはとても危険な時期でもあるということと、それは、母子のからだだけでなく、心も不安定な時期であるということ、を学びました。

この時期の母子の心の状態が、その後の親子の関係におおいに影響をすること、そうすると、心理的にみても、この出産が母子とも、健康に、心が通い合いあったものであれば、その後の人生に少々くらいの難しいことがあっても、乗り越えられていく、大切な時期だということ、よーくわかりました。

 

そう考えると、この周産期の心のケアはもっと注目されていいのではないかなと思いました。

あと、第15回の講義では、各講義の講師が集まり、座談会ということでみなさんがお話されていた内容がとても印象的でした。

とくに、医療にかかわることから、それぞれの医療分野での専門知識を勉強しないといけないこと、実際に心理士から、医学部に入学し、卒業された講師もいらっしゃいました。驚くべきことですが、ほかの講師の方々もしきりに、それくらい専門性が必要であるとおっしゃっていました。講師のみなさんの仕事への真摯な姿勢にすごい、と思いながら、このような講師の講義を受けたこと、うれしく思います。

この辺も、放送大学のすごいところなんですよね。すばらしい講師陣なんです。

 

心理臨床の基礎

臨床心理学というのは、心理学とはどんな分野かと考えるとき、まず、思い浮かべる分野ではないかと思うくらい、よく知られているのではないでしょうか。(すくなくとも、私はそうでした)

ここでは、心理臨床の基礎、心理臨床アセスメント、心理療法、コミュニティ援助などが扱われています。

どの項目も以前から本を読んだりしていたものですが、このような講義を受けると、きちんと系統立てて学ぶことが大切だということを痛感します。あちこちつまんで読んでいても、頭にはいらないものです。

アセスメントは、去年の心理臨床の面接授業で経験しているので、その難しさをすこしはわかっているつもりですが、じつにさまざまなアセスメントがあるもんだと思います。

これが正しくできないと、診断できないし、治療方針もままならないでしょうね。でも、投影法など、経験が重ねないととても自信もってできないことなんでしょう。

 

ユングの深層心理などは、おもしろいし、興味深いものです。

心理学を学びはじめたころ、

 

まんが うつと向き合う―ユング心理学を用いたカウンセリング

まんが うつと向き合う―ユング心理学を用いたカウンセリング

 

 という本を購入して、読みました。

うつを発症した著者原作のマンガと、それを治療した、心療内科精神科医ユング心理学を専門とする臨床心理士の方々の解説が書かれています。

とくに夢については、絵に描かれているととてもイメージしやすく、カラーで描かれていて、その不思議さと、美しさにびっくりするくらいです。

そこでの、臨床心理士の、カウンセリングの様子などが描かれていますが、すごく不思議な感じでした。でも、これは患者であった著者の目からみた、カウンセリングの様子であり、印象なので、そのままをそのカウンセリングの様子とはできないと思います。

今回、あらためて、心理臨床の基礎を学んで、さまざまな先人たちの研究や理論が積み重ねられ、人間の心という得体のしれないものの病や、その治療に挑んできたことが少しはわかった気がしているわけですが、まだまだ、わからないことは山ほどあるものですね。

たまに友人から相談をうけると、安易に言葉をかけることをためらってしまいます。

それもこのような学びの中で、人の心の不安定さや、その人が自分自身で立ち直ろうとする力を応援するにはどうしたらいいんだろう、と考えあぐねてしまうからかもしれません。

 

今回4つの科目を履修した、私なりの感想です。講義をうける前と後ではその印象はほんとうに変わるものです。また次の科目選択にむけて考えていきたいです。