放送大学で心理学を学ぶ

放送大学での新たな学びを通して自分と向き合いたい

卒業研究の進み具合

11月1日の最終締め切りに向かって、おそらくゼミごとにステップがあるだろうと思いますが、私のゼミではとりあえず、10月1日がプチ締め切り(担当教員に提出)です。

普段の仕事で、「納期」にいつも追いまくられているため、この締め切りには異常なほど神経質になります。

つまり,毎日が締め切り日のような感覚に陥っています。そして、その完成形をつねに頭に思い描き、締め切り日あるいは納期から逆算して、ここまではここまで、やっておこうということを考えます。

最後の追い込みはおそらくパニックになる私にとっては、すこしでも先に進めておいて、ちょっと余裕かなぐらいまで最初を締めていきます。それが今日の夕方であろうが,一週間後であろうが、一か月後であろうが、同じです。

私にとって、論文を書くということは初めての体験です。なにもかもが新しく、とにかくいつも最初から壁にぶつかりっばなし。

今回も、分析ソフトを使って数字は出たものの、それをどのように処理していくか。

ここで、いままでとても苦労してみつけてきた、あるいはその研究意義などが、必要になってくると、いまさらながら思います。

つまり、この尺度をつくるにあたってどんなことを考えてきたのか、そもそも、なぜこの研究をしようと思ったのか、なにが知りたいのか、その問題意識が深くないと、最後の考察や、そもそもの問題の部分がかけないということです。

たえず、原点にもどり、人から与えられた問題意識ではなく、あくまで自分が解決したいと思った問題について、様々な手法を経ながら、その経緯をふくめ、記述していくことが求められるように思います。

私は、人になかなか尋ねることができず、自分でとにかくぎりぎりまで調べようとしてしまいます。

そうすると、情報があふれ返って、頭の中が飽和状態に。

 

ここで、以前読んだ本、「勉強の哲学」の言葉が頭をよぎります。

 

勉強の哲学 来たるべきバカのために

勉強の哲学 来たるべきバカのために

 

 ここで、著者は、教員の存在を、勉強のきりのなさに対する「有限化」してくれるものとして述べています。私自身は、今回のこの体験を通じて、やはり担当教員の存在はその情報の「有限化」としての存在であり、それ以上でも、それ以下でもないという印象を強く受けました。

それは、教員は学生を指導する立場であるわけですが、学生にとってはあくまで勉強するのは自分であり、ましてや教員に自分の研究テーマのすべてを話したり、わかってもらうことはできません。(自分でも、わかっていないのに、できるはずはないです)

私自身、この勉強が始まってから、そういうことは覚悟していましたが、やはり、大半は自分の試行錯誤です。

勉強というのは、自分で文献を読んで考察するのが本体であり、教師の話しは補助的なものです。

教師はまずは「このくらいでいい」という勉強の有限化をしてくれる存在である。                 (p182)  

とあります。

また、その教員が示した選択肢なども、一度は検討するものの、どうしてもそれが納得できなければ、(たくさん調べても)それは違うと判断します。それも自分ですることです。

このような作業は、やはり人によっては、教員が厳しいとか、冷たいとか、あるいは無視されたんじゃないかとか、感情的になることもあるかもしれません。

が、勉強が楽しいのは、それが自分で獲得していくものだから、だと思います。

もちろん、自分でなにもかもができるはずはなく、そこには多くの人の協力や支えがあって成り立つわけですが、自分の知りたいこと、研究したいことは、他人にわかってもらえる形にするまでは、ずーっと自分で考えつづけないといけない。

今回の放送大学もそうですが、通信制であることにかぎらず、たとえば独学してなにかを研究している人たちもたくさんいると思います。

それぞれの学びの形は違いますが、共通すること、それは自分が知りたいということについてどのようにアプローチし、それを自分で調べ、検証し、その時点での結果を導いていけるかだと思います。

ここまで書いて、なんか、教員という存在とはどういうものなのか、と考えました。

それは、やはり人として、その方がどのように生きてきたか、どのような考えをもって著作や論文を書いてみえたのか、ということを知ることが大切かなと。

つまり、その分野のエキスパートとして、どのように問題意識をもっていままで問題に取り組んでみえたのかを、自分なりに調べ、そしてそれを参考になる部分や、共感できる部分は取り入れていくことかなと。

あくまで主軸は「自分」です。

これらの体験は卒業研究に挑戦することで得られたものです。もちろん、まだ終わっていません。これから毎日が締め切りとしてこつこつ、最後まで走り続けていきます。