放送大学で心理学を学ぶ

放送大学での新たな学びを通して自分と向き合いたい

大学院という選択

今日、大学院に関して、とても参考になる本を紹介していただきました。(何冊かあったのですが、以下の本以外は貸し出し中でかりることができませんでした)

 

養老院より大学院 (講談社文庫)

養老院より大学院 (講談社文庫)

 

 すぐに図書館に寄って、借りてきました。

図書館で借りたのハードカバーでしたが、文庫もでてるんですね。いまここで知りました。

そして、さっき読み終えました。とっても読みやすく、時々、読みながら、爆笑。

卒業研究の仕上げ部分をやろうとして、ついつい、読みふけってしまいました。

時々、大学院生が徹夜がつづいたり、研究室で寝泊まりするということを聞いたことがあったのですが、本をよんで、納得しました。

私はまだ卒業ではないので、卒業研究を終えてもまだ在学ということになりますが、その次を考えると、大学院という選択肢もありかな、とはおもっています。

ただ、自分がなにを研究していきたいのか、が明確でないと、ただ大学院という雰囲気というか、なんとなく勉強を続けたいなー、だけでは、受験の段階でも、いわんや、運良く入学できても、挫折しますね。多分。

内館さんの学びたいと思った原点は、「大相撲における土俵の女人禁制」について、ひいては、「大相撲」をもっと深く知ること、理論的に学ぶことでした。そのパッションは、途中失いかけても、原動力となっています。

私にそれだけの研究したいことがあるのか。

いや、一杯あるんですけど。じつは。

ありすぎて、迷うくらい。

高校生のころから、なんか哲学的なことや、宗教的なことを考えることが好きで、本も読んでいました。大学も哲学科みたいなところにも行きたかったのですが、結局目先に走った選択をして、就職と結婚。

父が私が20歳のときに急死したことも影響して、とりあえず早く結婚して、子どもを産んで、子育てをさっさと終えてから、やりたいことをやろうとおもっていました。

もちろん、結婚、子育て、義父の介護と死去、実母の介護真っ最中、と、いろいろありますが、それとこれとは、まったく別の次元で私の学びがあります。なので、先行研究など、文献をよんでいると、それこそ、内館さんの著書にもありますが、

社会人が大学や大学院に入った後、もしも若返ったとするならば、それは若い学生に囲まれているからではない。社会人の日常生活では考えられないようなことを習うからである。社会人がついも身を置いている日常や現実の中では、とうに忘れていたことを教わるからである。

P109  第五章 「非日常」に若返る社会人

の様な心境、

つまり非日常に浸ることができるのです。これは、たとえば映画やドラマ(SFなど、それこそ非日常を扱ったものなど)お芝居やその他、人によって、その非日常感を得るものは違いますが、私は、非日常を学びの中で体験することに大きな喜びを感じます。なので、大きな図書館などで、たくさんの蔵書に囲まれていると、昔からの多くの知恵と英知が詰まっているその空間にとてもやすらぎと、喜びを感じるのです。

 

しかし、それはまさに人それぞれ。

一人一人が、なにが自分にとって非日常であり、そこに浸ることで、生きる活力を得ていくのかを見つけることが、この複雑な世の中を生き抜くことに必要だと思います。

 

また、著書の中にも激しく同意する部分。

 

だいたい、どう考えてみたところで、社会人が大学や大学院に行くのは「趣味の領域」である。

社会人になって再び学問をするということは、これはもう、よほどの例外を除いて「趣味」である。中高年の社会人学生がこれからの日本を、そして世界を背負うわけではないし、もとより誰もそんなことは期待していない。 P153 「第六章 得たもの失ったもの」

 まさに、卒業研究をやりながら、その頭の中の飽和状態を感じつつ、もうだめ、とおもっている自分を、外からみている自分がいて、なんて幸せな時間なんだろーと。つまり、「痛、気持ちいい」感じです。これは完全に、趣味の世界だろうなと。

生活が困窮していたら、こんなことしてられない。

子どもが小さいときには、勉強なんてできっこないのは当たり前です。

背負うものがない、責任がないとはなんと楽なことでしょう。

また、誰かと、競うこともしなくてもいいこと。もちろん、ライバルなどがいた方がいいかもしれません。でも、年齢を経ると、あまり競争心も沸かなくなります。つまり人のことはどーでもよくなってしまうんです。

若いときのように、人とたえず比較してしまうとか、ピリピリした感じもなくなってきました。疲れちゃうんですね。

そんなことにエネルギーを使うより、すこしでも、本読んだり、じっくり学問の中に浸って考えることに集中したい、と思えるような心境です。

 

 

たしかに、大学院は大変でしょう、大変だ、むずかしい、などなど、ありますが、もし、本当に続けることが困難なら、すっぱりやめることも選択できるわけです。

趣味ですからね。

というと、なんか無責任な感じがしますが、それくらい、気持ちをちょっと広げて受け止めることも大事かなと。悩んでしまっても、ふっと我に返って、あ、これは自分の趣味だし、と。

けれど、やはり始めるには無理は禁物です。まさに現在お金を貯めなくてはいけない、家族のことでやることがたくさん(子どもが小さい、親の病気や介護、夫(妻)の病気や、失業などなど)などの状況を押して、できるものでもないことは自明です。

ものごとには、「適した時期」があるとも思います。

人生というアップダウンを繰り返す中で、うまく波にのれるときに、ぱっと乗る。

いい波がこなかったら、じっと待つことも必要です。

待つことと、波にのること。この時期さえ大きくはずさなければ、あとはなんとかなるし、また、細くてもいいから、人とのコミュニケーションをつないでおくことでしょうか。

 

まだまだ、私はこれから卒業研究を締め切りに間に合うように仕上げ、単位もとっていかなければなりませんが、まさに趣味の世界であそんでいるともいえます。

こんなことに没頭できることに、ほんと,感謝です。