放送大学で心理学を学ぶ

放送大学での新たな学びを通して自分と向き合いたい

卒業研究無事終了しました。

口頭試問会が終わり、卒業研究は無事終了しました。

が、来年の2月に成績結果が送られてくるようなので、そこで合否がわかることになります。

ここまで、夢のようだった、とはいいません。

あっと言う間だった、というのも違う様な気がします。

たしかに、毎日が格闘し、常に考えつづけていた時間は、存在し、濃密なものだったと思います。

そして、なにより、私自身が変わったと思えることがあります。それは、ものの見方について、です。

 

問いを立てるということ

論文のテーマを絞っていく過程で、自分でなにを知りたいのかを常に意識するようにすると、あらゆることについて、立ち止まって考えるようになりました。

以前は、ある情報について、それを受けると、それはそういうものだろうととくに疑問をもつことなく、受け流すような感じでした。それを意識したことはなく、また、メディアの情報についても、感動的な話であれば、すなおに感動し、理不尽だと思えば、腹を立てながらも、世の中そういうもんだよね、という態度だったと思います。

けれど、そこに、いちいち、つっこんでいくようになりました。

さらっと、受け流せないようになっていった自分がいました。

それは、自分自身にも向けられていました。

たとえば、満員電車の中で、大きなリュックを背負っている人が目の前にいると、ムッとします。でも、なぜ、(私は) ムッとするのか。それは、リュックがあたるかもしれないし、だいたい、なぜ、(リュックを背負っている人が) そんなこと気がつかないのか。でも、その人にとって、そのことは問題となっていないことであり、別のことで頭が一杯なのかもしれない。だいたい、リュックを前にするとか、後ろにするとか、それがどれほど大切なのか・・・・。私がそのことについて、自分の都合で考えているのはおかしいのではないか。正しいこととか、間違っているとか、どういうこと?   みたいな。

 

つまり、自分のそのときの一瞬沸き上がった(ムッとした)感情は、どこからきたのか。その他にも、自分が自分の価値観で人をみていると気づくことが多くなりました。

 

もちろん、人は自分の生まれ育った環境や、時代に影響されていきます。それを通して物事を判断していることは避けられないけど、それを自覚することはできます。

 

つまり、あらゆるところに、なぜ、が転がっていたことに、いまさらながら気がついたのです。

 

これは、もう、前にはもどれません。いや、もどりたくないと思います。

私が社会人として、そして、もう人生の還暦を迎える年に近くなって、このような経験をしたことは、とてもよかった、と思います。人生の来るべき、誰でも迎える締め切りに間に合う気がします。

論文の締め切りは、終わりましたが、人生の締め切りにはまだ、少し時間があります。

 

人には人が必要

今回、ゼミに参加するという機会を得て、まさにおなじ目標に向かって走った仲間がいました。

それぞれが、いろいろな環境の中で、自分のテーマをもち、最後まで一緒にたどりつくことができたことが、とても大きな連帯感をもたらしました。

まさに、戦友という感じです。そこには、個々が自分のやるべきことに格闘し、決まった時間に会って、お互いのテーマについて、その内容を意見し、見直し、そしてまた意見を言い合う仲間です。

放送大学に限らず、通信制の大学などでは、この人と人が会う機会がなかなか少ないことが卒業研究に限らず、モチベーションが保てない要因となります。

私は、ゼミがおこなわれるところから、新幹線を使わないといけない距離に住んでいくことから、とにかく、欠席をしないようにしました。ゼミでちゃんと発表できる自信がなくても、とにかく、出席すること。みんなに会って、いまの研究の進み具合を正直につたえ、みんなの意見を聞くこと。

自分がつまずいていることや、問題点が自分ではわからないけど、ゼミの仲間なら、いままでの過程も知っていて、適切に意見をいってくれる。

これが、本当にすくわれました。

それは、ダメだしであったり、批判だったり、様ざまですが、なんでもいいから、一杯意見をもらうことが必要でした。

社会人になると、ましてや、子育てをしたり、まわりがどんどん年下(職場でも)ばかりになってくると、意見をいってくれることはぐっと減ります。

自分の未熟さを指摘されることは、とても痛いことです。心が折れそうにもなりますが、まだ、自分にはそれを受け入れるだけの、柔軟な心をもっている、と思えば、ありがたきこと、と受け止めていけます。

 

これは、一人ではできません。今回は、このゼミの先輩方からも、本当に多くの助言をいただきました。何度も、訂正し、作り直し、をおこないました。

人は人から助けてもらえるものだと、つくづく思いました。

 

次へのステップ

ようやく、テーマを離れて、とりあえず、気の向くまま本を読めることで、やっと終わったんだーという実感をしています。

今度は、どのようなことに取り組んでいこうか、すこし、この休みの間に考えつつあります。

私の脳がどこまで、働いてくれるか未知ですが、徹底的に負荷をかけ続けること、これしかありませんね。