放送大学で心理学を学ぶ

放送大学での新たな学びを通して自分と向き合いたい

公共的問題としての科学技術(第13章)

だいじょうぶかなあと不安になりつつも、ひたすらテキストを音読。

なぜ、音読かというと、黙読していると途中で迷子になってしまうから。

 

今日はひとつ、普段なぜかなあーと思っていたことについてなるほどと思ったこと。

まず,科学技術とはどんなことだろうかと考えると、エネルギー関連や、医療、宇宙関連やAI、IT、情報通信エトセトラ。

私たち消費者はたいてい、それらに対して間接的にあるいは直接的に恩恵を受けることが多いわけですが、これがいいことずくめでもないことも多々あります。

たとえば、放射線量のこと。

健康診断などでレントゲン診断のために被爆することと、原子力発電所の事故で環境に放出された放射線被爆のリスク。

詳しいことはおいておくとして、これらを単純に比較することはできない、という直感が働きます。

環境に放出された放射線が非常に低線量であっても、私たちはそれを受け入れることはできないと思います。

なぜなのか。

まず、大前提として科学技術に対してのイメージは、曖昧さがなく答えがきちんと決まっているというものです。

しかし、科学は未知の領域を扱うものであり、私たちが思っているほど正しさがあるわけではない。

科学技術の知識もなく、専門用語もよくわからないけど、健康診断で被爆するリスクと放出された放射線被曝のリスクとの差異はなにかというと、そこに人の「選択可能性」「信頼性」「責任」などが関わってくるということ。

もし、放射線量が人体に及ぼす影響が小さいから大丈夫と専門家や行政に関わる人たちが決定をして、そのことを実際に被爆する恐れのある住民に公にしなかったとしたら、この問題はどうなるだろうか。

そこには、人々の行政や専門家たちに対する「不信感」と「怒り」が沸き上がり、大問題になるでしょう。

ここで,なるほどと思ったことは、実際に自分たちの健康に影響のないものだと数字で示されたとしても、そこが問題ではないということ。

科学技術の発展の問題は、突き詰めていけば、人々がどのような社会に住んでいきたいか、という人々の願いがあります。

リスクは、心理学でも学んできました。心理学は、あらゆる学問のベースとなるんじゃないですかね。

科学技術とはいえ、扱うのは「人」ですから。